明日からサッカー日本代表のワールドカップアジア3次予選が始まりますね。
代表戦の時は、意地でも定時で上がるパグです。どーも(ノ▽`)
とりあえず明日はみんな、日本代表を応援するんだぜ!
3歳から始めたサッカーですが、なにせ僕は中学校3年生の夏まで身長が152cmしかなかった
チビっ子でした(゜∀゜) 今の僕からは想像出来ませんが!
サッカーが大好きで大好きで仕方がないのに、身体が小さくて、試合に出られませんでした。
単純に回りの子よりへたっぴなのも、もちろんあったかもしれませんが本当に小さかったんだw
3つ下の弟と常に身長が同じくらいで、小学校に入る頃には抜かれてた(`ω´;)
弟は同じサッカーチームに入ってすぐにレギュラー(幼稚園の部)
小学生ながらへこみましたね。なんで僕はこんなに小さいんだー!って。
子供の頃って残酷で小さいだけで、結構いじめられたりもしたし、馬鹿にされたり。
でもサッカーだけは、どうにも辞められないし負けたくなかったんだなーw
そんな僕に転機が訪れます。
忘れもしない1982年のサッカーワールドカップ・スペイン大会(と、歳がばれる・・・w
小学校1年生の時でしたね。
準決勝のフランスvs西ドイツ(現ドイツ)
180cm前後の選手達の中に、1人だけ小さな選手が。
この大会優勝候補の一角だったフランス代表との試合で、この小さなドイツ人は
全3得点に絡む大活躍で、西ドイツの勝利に貢献する。
身長168cmのサッカー選手の中では、かなり小柄な部類に入るこの人。
ピエール・リトバルスキーとの出会いだった。
チビでもこんな凄いこと出来るんだ!と激しく思ったんだ。
この人の何が凄かったかって、「ドリブラルスキー」とニックネームが付くほどのドリブラー。
その小さな身体をで、大男達をひらりひらりと華麗に抜き去る姿を見て「これだ!」と
次の日から必死に真似をしたもんだw
晩年は、日本のJリーグでもプレイし、現在はアビスパ福岡で監督も努めてます。
くじけそうだった小さな少年の心に、希望を持たせてくれた忘れられない人ですね。
YouTubeで探したけど、動画は見つからず(ρω`。)
忘れられないで思いだしたけど、93年に来日した際に、理想のプレイは?と聞かれ
「フィールドプレイヤーを全員ぶっちぎってから、相手キーパーのまわりをドリブルして周り、ヒールキックでゴールを決めるのが理想」と、とんでもないことを言ってたことを忘れられないw
小さいパグ少年は、この時から大きいやつには負けたくない!と必死でテクニカルな選手に
なれるように努力したのですね。体力で勝てないから( ;゚∀゚)
そして僕が最も尊敬するサッカー選手、ドラガン・ストイコビッチとこの後、出会います。
1990年のワールドカップイタリア大会でした。
相変わらず、いつも整列すると一番前で腰に手を当てる役だった僕は、テクニシャンに憧れる
毎日でした。
この頃からゲームを決定付ける、テクニカルでファンタジー溢れるプレイをする花形プレイヤーを
「ファンタジスタ」と呼ぶようになります。
そのワールドカップで準々決勝で惜しくも敗退はしましたが、華麗すぎるプレイから
ピクシー(妖精)とニックネームが付くほどの有名選手となりました。
彼ももちろんファンタジスタと呼ばれた一人です。
中学生のパグ少年は、もうピクシーに夢中で真似しまくりの毎日。
この頃はもうチビではありましたが、レギュラーに定着して一番サッカーが楽しい時期でしたね。
そんな彼がまさかJリーグでプレイすることになるとは思わなかった(*´ω`*)
1994年の出来事でしたね。ピクシーがJリーグに来る!?と聞いて一瞬で
名古屋グランパスファンになりましたねwww 今でもグランパスを一番応援してるんですが
この度そのピクシーが監督として帰ってきました!!
自分が小さな時に、憧れたサッカー選手2人が選手として監督として日本に居る。
本当に幸せすぎますね。贅沢すぎです。
ピクシーは、華麗なテクニック、イマジネーション溢れるプレイ、そして速さとパワーも
合わせ持ち、そして性格無比なコントロール。さらにさらに容姿端麗!
非の打ちどころが無い。 抱かれてもイイ。
まぁ・・・ ただでさえ長くなるので、この辺にしておきますが最後に華麗なるピクシーの動画でw
凄いから! カックイイ!
その1、シュート編 (なんという落ち着きっぷりと正確さ)
その2、華麗なるドリブルとパス編 (まさにファンタジー)